「マッサン」に見る、日本人男の国際結婚
寒くなり、朝が辛くなってきた、どうもBodomchildです。
私たち夫婦は、日本人男性とドイツ人女性のカップルです。
以前の記事の中で書きましたが、日本国内における国際結婚数はその数字だけ見ると、さほど珍しくない世の中になっています。
外国人配偶者出身国別にみると、アジア出身者が圧倒的に多く、その他の地域に関しては以前として少ない実情があります。
自分がドイツ人妻と結婚していることもあり、そんな少数派な日本人男性と外国人女性のカップルで、私が勝手に尊敬の念を抱いている人物について紹介しようと思います。
朝ドラ「マッサン」
2014年〜2015年にかけて、NHKで放送された、連続テレビ小説シリーズのテレビドラマです。
いわゆる、朝ドラです。
日本発の国産ウイスキーを作った亀山政春(玉山鉄二)とその妻エリー(シャーロット・ケイト・フォックス)の物語です。※()内は、演者の名前です。
この「マッサン」というのは、妻であるエリーが夫の亀山政春の呼び名として、呼んでいた名前に由来します。
ドラマでは珍しく、国際結婚の夫婦を描いていました。
物語の面白さと演者のハマり具合から、とても人気を博しました。
この物語はモデルとなる人物がいます。
ニッカウヰスキー創業者 竹鶴政孝
お酒好きの方は知っていると思われますが、あのニッカウヰスキー株式会社の創業者です。
「余市」「竹鶴」を初めとしたウイスキーはとても人気がありますね。
最近、ウイスキー人気やドラマの影響もあり、原種の在庫が少なくなり品薄になったりもしています。
いつか北海道を訪れた時は、余市の蒸留所へ訪れたいと思っています。
朝ドラ「マッサン」は、まさにその竹鶴政孝さんの生涯を描いた半実話の作品です。
この方は、日本初の国産ウイスキーを作った、「日本人のウイスキーの父」と呼ばれています。
1894年から1979年という生涯でした。
第一次世界大戦、第二次世界大戦が勃発した時代背景を考えると、当時の国際結婚というのは、相当な困難があったと思われます。
現に、その結婚の際には両家(竹鶴家、カウン家)から猛反対されたようです。
そんなマッサンの妻であるリタとはどのような人物なんでしょうか?
スコットランド人妻 竹鶴リタ
スコットランド人女性です。
マッサンがイギリスのグラスゴー大学へ留学していた時に出会っているそうですね。
本名は、”ジェシー・ロバータ・カウン”と言うそうです。
この「マッサン」と言うのは、リタが結婚後に「まさたかさん」と言うのが発音的に難しかったため、「マッサン」と呼ぶようになったと言われているそうです。
国際結婚あるあるですね。笑
因みにお二人の出会いは、以下。
有機化学と応用化学を学ぶためスコットランドのグラスゴー大学に留学(1918年入学)していた竹鶴政孝とは、リタが第一次世界大戦で婚約者を亡くして間もない1919年(大正8年)、当時同大学医学部に在籍していたリタの妹エラから弟のラムゼイへの柔道(柔術)指南を依頼された政孝がカウン家を訪れたことがきっかけで出逢う。
Wikipedia抜粋
そして、親交を重ねて、
マッサンが「スコットランドに残っても構わない」とリタに打ち明けた気持ちに対し、リタが「私はあなたの夢を共に生き、お手伝いしたいのです。」と伝え、国際結婚に至りました。
と言うか、マッサンすごい!!!
文化圏の違う人間にここまで言わせるとは!!!
マッサンの人間性がとても素晴らしかったことが伺えます。
リタさんも、大和撫子を彷彿とさせる人物ですね!
彼女は、周りの人から「日本人以上に日本人らしい」と称される程、日本文化に馴染む努力を惜しまなかったそうです。
リタさんもまた、人間性が非常に素晴らしかったんでしょう。
そんな2人だからこそ、惹かれあったのでしょうね。
お二人の生涯
お二人は、子宝に恵まれなかったので、養子を2人迎え入れています。
マッサンは85歳、リタは64歳でお亡くなりになられています。
そして、北海道余市町に夫婦揃って埋葬されています。
マッサンの生涯は、「ウイスキー作りに人生を捧げた」と言っても過言でありません。
詳しくは本や、ニッカウイスキーのHPを覗いてみて下さい。
製造業に携わる人間ならば、胸が熱くなること間違いなしです!
ここでは、そんなマッサンの私の好きな逸話をご紹介します。
・リタ没、尋常じゃない取り乱し方をしたマッサン
妻のリタが亡くなった際に、「おばあちゃんが死んじゃった」と家中で喚き散らしたそうです。
孫が「大の大人がそれほど取り乱すのは初めて見た」というほどのレベルとのことですので、相当なものだったを思われます。
逆に、それだけ妻のことを愛していたということで、愛情の深さが読み取れます。
・孫に「お前だけは国際結婚するな」
マッサンが最後のお見舞いに来た孫に言い遺した言葉です。
これは、愛する妻のリタに苦労ばかりかけてしまったことへの懺悔と葛藤から出た言葉だそうです。
妻の親、つまりスコットランドに居るので、現代ほど頻繁に渡航もできなかっただろうし、心境お察しします。
自分でもたまに妻に対して思いますしね。
こればっかりは国際結婚の辛さだと思います。
他にもニッカウヰスキーのサイトに創業者の話やリタの話などがあるので、ご興味のある方はサイトを訪れてみて下さい。
ニッカウヰスキーWebサイト:https://www.nikka.com/taketsuru_rita/index.html
まとめ
いかがでしたでしょうか?
朝ドラ「マッサン」とんでもない人気になっていたので、少しは耳にしたことはあるかもしれません。
当時の日本では、めちゃくちゃ珍しい部類にあった国際結婚であり、多くの苦難があったことは容易に想像がつきます。
偉大な創業者として、国際結婚の大先輩として、尊敬します。
本当に素晴らしい夫婦だったんだなとしみじみ思いました。
最後までご拝読ありがとうございました。
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